琵琶楽の流れ / 琵琶楽の歴史 2(新説)

 

『日本の伝統芸能講座―音楽』(第17章「琵琶楽の流れ、薩摩琵琶、筑前琵琶、現代へ」)より

執筆=薦田治子 (P.414〜433)

 

▮ 琵琶の流れ 薩摩琵琶、筑前琵琶、現代へ ▮

◆ 琵 琶 楽 の 系 譜 (P.414・415)

 明治時代後半から昭和初期にかけて、九州の盲僧琵琶から生まれた薩摩琵琶、筑前琵琶といった琵琶が東京にもたらされ、全国的に流行した。これらの琵琶のための音楽を「近代琵琶楽」と総称する。基本的に近代琵琶楽は琵琶伴奏の声楽曲なので、歴史的な種目名としては「薩摩琵琶歌」「筑前琵琶歌」のように「歌」を付し、楽器については「薩摩琵琶」「筑前琵琶」ということにする。

 

 すべての日本の琵琶は雅楽琵琶から展開していった。雅楽琵琶から平家琵琶が生まれ、平家琵琶から盲僧琵琶が生まれ、盲僧琵琶から近代琵琶が生まれた。

         雅楽琵琶  →  平家琵琶  →  盲僧琵琶  →  近代琵琶(薩摩・筑前)

 古代に伝来した雅楽の琵琶は、遅くとも紀元1000年ころまでには、民間の盲人音楽家の手にわたり、彼らは琵琶法師として活動した。鎌倉時代になると、琵琶法師は《平家物語》を語って活躍したので、この琵琶は「平家琵琶」と呼ばれるようになった。(本書第6章「平家」参照)。十六世紀に三味線が伝来すると、琵琶法師たちは三味線を手に活躍するようになるが、その興行権をめぐって琵琶法師座の間で争いが起きた。延宝2年(1674)、京都を中心に全国的な組織を作っていた当道座が九州地方の琵琶法師座との争いに勝ち、これ以降当道座外の琵琶法師たちは三味線を取り上げられ、芸能活動を禁止された(『日本盲人社会史研究』)。そこで、彼らは盲僧を名乗り、表向きは地神経や荒神経などを読んで宗教活動をしながら、使用を許された平家琵琶を改造して流行の三味線音楽を演奏し、かろうじて生き延びたのである。この三味線風琵琶が「盲僧琵琶」である。

 薩摩地方では、十八世紀の末までに盲僧琵琶が郷士と呼ばれる武士たちの間で好んで演奏されるようになっていた。これが薩摩琵琶歌で、明治時代に「武士の琵琶」として東京へ紹介され、明治半ば過ぎころから流行する。これに刺激され、九州地方の各地の盲僧琵琶が東京に進出し、新しい琵琶楽の樹立を目指した。中でも筑前琵琶が成功を収め、明治時代末には、薩摩琵琶と並んで琵琶界の人気を二分するまでになった。(以下略) 

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